一九八九年六月、ビルマの国名が「ミャンマー」に変わった。ビルマの軍事政権が、国連に対し、それまでの「ユニオン・オブ・バーマ」から「ユニオン・オブ・ミャンマー」に、英語国称の変更を届け出たのである。日本では、「パーマ」の翻訳として「ビルマ」を使っていたが、英語国称の変更にともなって、マスコミでは「ミャンマー(旧ビルマ)」という表現が使われるようになり、まもなく、「(旧ビルマ)」の表記もとれた。ビルマ語による国名は、「ピダウンズ(連邦)・ミャンマー・ナインガン(国)」。そこから考えると、「パーマ」から「ミャンマー」への変更は、ナショナリズムから国民に歓迎されそうなものに思えるが、国民に人気がなかった。なぜかというと、英語の「パーマ」のもとになった「バマー」は、おもにビルマ族とその国土をさす口語的表現で、ミャンマーは同じ意味の文語的表現。ビルマの人々は、「バマー」と「ミャンマー」を、とくに意識せず、同義語として使っていた。軍事政権が英語国称の変更の理由として挙げたのが、「『バマー』はビルマ族をさすので、ほかの多くの民族がともに住む連邦国家としてふさわしくない」というものだったが、その根拠は希薄といえる。だが、国民に「ミャンマー」が人気がないもっとも大きな理由は、語源云々より、武力で政権をにぎった軍事政権が、勝手に国名を変更したことにある。国民の大半が参加した民主化運動を武力で鎮圧し、民主的な手続きを経ずに成立した軍事政権を、国民の大多数は支持していない。正当性のない政府が勝手に変えた国名なので、国民に不人気だったというわけである。
基本的に、ホテルは旅館と違って待っていても何もやってくれない。自分からあれをしてくれ、これをしてくれと頼むことが大切である。海外のホテルマンに言わせると、日本人客はホテルに入ると、チェックアウトするまで何も要求しないので、果たして本当に満足してもらっているかどうか首をかしげているという。ホテルに遠慮は無用。できるだけワガママになって、可能な限りアレコレと注文したい。しかし頼む時は必ず“Please”と、要求が通ったら“Thankyou”という挨拶を忘れずに。日本人にはこれができない人が意外に多いのだ。また、宿泊料が高い高級ホテルほどあれこれ注文していい。そして安宿に泊まれば泊まるほど、自分で何でもやらなければならない。これがホテル界の常識である。だが日本人旅行者の多くは、これと反対のことをしている。すなわち、高級ホテルになればなるほど遠慮して何も要求しない。そして安宿に泊まると、値段の安さもわきまえず逆にあれこれ注文してトラブルを起こすのだ。高級ホテルも安全や設備の充実、交通の便利さ、そして館内でかなえられる様々なリクエストを考えると決して高くはない。値段が高い分の要求をすればいいだけの話である。逆に安いホテルに泊まる場合は、自分で何でもやるという「旅」の面白さを味わうこと。これに尽きる。だからホテルの良し悪しは金額ではない。要はその人の使いようで、決まってくるものなのである。私はホテル好きということもあって、比較的いいホテルに泊まるが、その代わり滞在中、遠慮なく自分の要求をぶつける。そして、それをかなえてくれたホテルを気に入って、また次の時も愛用する。それが「ホテル」に対する正しい態度であり、やさしい使い方だと思う。
佐賀城は戦国時代の領主竜造寺氏の居城村中城を鍋島氏が全面的に改修したもの。遺構の多くも明治初年の江藤新平らによる佐賀の変で失われ、琥の門といわれる城門が残るだけである。佐賀の名は所在地が佐嘉郡であることからとった。伊万里焼といえば、江戸時代に浮世絵と並んで日本文化の素晴らしさを世界に認めさせた原動力だった。ところが、伝統工芸品産業の指定に当たってちょっと問題が起きた。というのは、世界的に有名な伊万里焼、いわゆる古伊万里は有田町の特産品で、伊万里港から積み出されていたので伊万里の名で輸出されていたものである。朝鮮出兵で陶工を連れてきた鍋島氏は、彼らの子孫を伊万里市大川内の山中深く隔離し陶磁器を焼かせた。ところが、アウトサイダーというべき陶工たちが近くの有田で焼くようになり、それが世界で評価されるようになった。しかし、やはり伊万里市の産物である以上、その名を使いたいというのも自然な気持ちである。結局は伊万里・有田焼として指定を受けた。